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(中央は勉強の神様、魁星)

○雨の西山

ロープウェイを降り、階段を上る。チケット売り場を見つけ、看板で西山の観光ルートを確認する。入場チケットを購入しようとすると、ゴンドラとバスのチケットも勧められた。なんでも、龍門は歩いて向かうには本格的な山登りとなるため、スキー場にあるゴンドラで向かうのが一般的とのこと。

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(西山景観地区。中央やや左に入場門がある。龍門は左端のオレンジの線が描くルート上にある)

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(チケット三枚。一番上は、龍門を見終わった後、入口に戻ってくるバスのもの)

チケット売り場から入場ゲートは歩いてすぐだ。途中、フードコートがあり、親子連れが牛肉面をすすっている。右手にはバスロータリーがあり、西山下山はバスでもできることがわかった。

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バスロータリーの向こうには、昆明出身の聶耳(じょうじ)の墓がある。中国の国歌である、義勇軍行進曲を作曲した青年だ。しかし、24歳という若さで亡くなってしまった。日本に来ていた折、神奈川県での海水浴中に溺死したのだ。神は天才を欲しがるため、才能あるものは夭折するとの言葉があるが、彼もその一人だったのだろう。墓前にて手を合わせた。

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さて、龍門観光地区の入場ゲートは、フードコートを過ぎて左側にある。龍門観光ルートの上部に向かうゴンドラは、この入場ゲートの左脇にあった。雨が降ったり止んだりしていたため僕の他に乗る客は数人しかいない。向こうからの乗客はおらず、無人のゴンドラが空しく列を連ねている。

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(美人峰に登るゴンドラ)
 
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ゴンドラの上は手持ち無沙汰だった。フードコートで購入した糯玉米をかじりながら、滇池を撮影する。糯玉米はトウモロコシ(玉米)とは異なる特徴を持つ。トウモロコシよりはもちもちしており、また甘みが少ない。茹でたり蒸して食べるのが主流で、中国ではコンビニでも売っているほどメジャーな食べ物である。5元ほどで手に入るため、小腹が空いたときによくおやつ代わりに食べていた。腹持ちもよい。

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ゴンドラは山の端を進むため、さきほどのロープウェイよりも滇池が遠くまで見渡せる。大理の洱海よりも大きくて広く、昆明の文化を育んだ母なる水といった威容を見せてくれる。

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ゴンドラでの移動は20分ほどかかった。昔の人はこの場所に歩いて登るしか手段がなかったことを思うと、その苦労と勇気が偲ばれる。そして、この西山に10年以上籠って、弟子たちとともに龍門を彫り上げた人間の執念は、一体どのようなものだったのか……。

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ロープウェイを降りると、再度入場ゲートがある。入口の女性が「自動音声ガイドは使いますか」と尋ねてきた。日本語を希望したがそれはないということだ。先に進もうと2歩進んだところではたと振り返り、その機械は無料かと尋ねたところ、タダとのことなので中国語の案内を借りる。各観光ポイント近づくと、全自動でその場所の説明を始めてくれる優れものだ。

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解説が始まる。龍門の大まかな説明の後、何年に中国の国家主席がこの地を訪れたなどと聞こえてきて少し閉口した。しかし、タイの首相が来たりミャンマーから偉い方が来られたりとの説明が加えられたため、ここは東南アジアのエリア内なのだと再認識する。

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(土はなく、岩の足場が続く。雨で足元が滑りやすい)

僕のルートは龍門を上から降りていく道だ。雨で地面が滑りやすく、階段を降りる際に、踏み出した足が滑り、何度も肝を冷やした。西山は土の山というよりは、滇池に沿った扇形の岩山だ。龍門はほぼ崖にあるので、急勾配であり高低差が甚だしい。そして、この岩は石灰質を多く含むらしく、雨に溶けやすく、雨天では滑りやすくなる。また、岩自体は柔らかいため、のみで龍門を彫るのには適していたのだろう。

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(崖を伝い歩く)

10分ほど階段を降り続けると、踊り場が出現した。滇池に向かって崖の下を撮影していると、ふと後ろにトンネルがあることに気が付いた。これは、龍門石窟のちょうど上に当たる箇所に無理やりトンネルを掘り、観光客に役立てようということで、最近できたものだ。最新の機械を使っても難工事であったらしい。工事の完成を祝って、石板に古文の文体で文章が刻まれていた。いかにも中国、文の国の所業である。

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(漢詩:梁王避暑依険峻 / 史鑿龍門霧靄中 / 而今又○穿雲閣 / 証道旋ゝ広寒宮。○は読み取れず)

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(トンネル入り口。中は暗すぎて撮影できなかった。坑道にあるようなランプが連なる中は肌寒く、鍾乳洞のように天井から水滴が滴り落ちてくる)

○事実は小説よりも奇なり

トンネルを抜け、崖沿いに左に歩いていく。すると、崖がへこんでおり、お堂になっているところがある。ここに今回の龍門観光の目的、魁星が鎮座する。14年をかけて龍門を彫った道士、その弟子がこの魁星を彫った。最後の段になって、魁星が持つ筆を削りすぎ、筆が折れてしまった。彫刻のミスはもう戻らない。取り返しのつかない失敗を悔やんだ弟子は、この崖下に身を投げたという悲話が伝えられている。

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(悲劇の元となった魁星。綺麗に着色されている。右手に筆は持っていないようだ)

魁星は道教で一番偉い神様とされている。神々のトップに君臨するため、中国の官僚登用試験である科挙の受験生は、トップを取れるように魁星にお祈りをする。学問の神様でもあるのだ。

では、そもそもどうしてこの西山に龍門が彫られたのだろうか。始まりは200年前に遡る。滇池近くの貧しい漁村に呉来清という男がいた。彼は石匠であった。そして、昆明には科挙に纏わる言い伝えがあった。隋の煬帝の時代より科挙が始まってこのかた千年来、1人も状元(科挙のトップ)が出ていない。それは、昆明には龍門がないからだ、というものだった。登龍門という言葉があるように、龍門は出世の象徴であった。

男には付き合っている女がいた。この伝説を彼女から聞き、男は立ち上がった。おれが龍門を彫り終えた暁には結婚しようと。彼は仲間を集めて、14年の歳月をかけて龍門石窟を掘り進んだ。

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しかし、である。男はついに魁星を彫り終えたのだが、右手の筆が尖っていないことに気が付いた。少しでも尖らせようと慎重に削っていると、ノミが石の急所に当たってしまったのか、筆がポッキリと折れてしまった。学問に筆は必須道具である。学問をつかさどる魁星の命だ。最も重要な神の、最も重要な場所で取り返しのつかない失敗をしてしまった。男の青ざめた顔が目に浮かぶ。

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彼は自分の失敗を悔やみ、崖から身を投じた。彼の失敗を罵る者もいただろう。或いは、そこまですることもないのにと、その死を悼む者もいただろう。とにもかくにも、残された者たちは作業を終え、龍門は完成した。


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(道士の弟子が身を投げた崖。下に木々が生い茂るが、この高さ故ひとたまりもないだろう)

ところで、女である。彼女もまた、悲劇の人であった。彼女は男が自害したことを嘆き、涙も枯れ果て、憔悴して亡くなってしまった。そして、彼女は西山の群峰と化したのであったと伝えられる。西山全体を遠くから見ると、女の人が仰向けになって寝ているように見える。このため、西山は睡美人山とも呼ばれるようになった。


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(西山の岩山をノミだけで削って通路を彫った跡)

ある男が、昆明の人々のためにと思って始めた龍門開削の一大事業。一点の曇りもない善意による行動が、最後は自らの死を選ぶ結果に繋がるとは、誰が予想し得ただろう。運命とは何だろうか。もし神がいるとすれば、神は残酷な存在なのだろうか。

現実と幻想が交錯する、人の心を打つ悲劇のエピソードだ。
次回は、西山で味わった彝族の四道茶を紹介します。

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